先ごろ、私の母方の祖母が105歳で逝去いたしました。
私は大学時代、切通姓を残したいという祖母の意向を受け、戸籍上養子となりました。
なので喪主という立場になります。
人生の最期をどう迎えるかは、その人がどう生きてきたかということがすべてそこに集約されると、あらためて実感いたしました。
105歳まで生きて、最後の最後まで子どもや孫の世代がやってきて慕われる立場になったのは、それまで家族や身の回りの人間に対しての関係があってこそのもの。
まさに、一朝一夕で築き上げられるものではありません。
祖母は16の時に、鹿児島から、誰ひとり知り合いのいない東京に嫁いできました。見合いはおろか、祖父の写真一つ見ていない状態で決められた結婚です。
その状態から、いまや明治の時代から生きているのは、一族で祖母だけになっていました。
僕のようなニート世代が、既成のものにただぶらさがって生きていくことは簡単です。
けれど、人間関係をたゆまず築き上げていくことは誰にでも出来るものではありません。
その答えとしての、生き切った105年間だったのだと思います。
たぶん僕がこれからそういう生き方をすることは出来ないでしょう。
それはつまりそういう死に方をすることも出来ないということだと思います。
もちろん、いまは時代も違います。
また、家族と離れていても、その分なすべきことをなそうとする人もいるでしょう。
私自身、ごく近所に居ながら、最後の瞬間には立ち会っていません。
原稿のためのテープ起こしをしている最中、母から知らされました。
静かに、眠るように息を引き取ったと聞きました。
いまは喪失感よりも、祖母に向けられた人々の愛情に、いちいちホロリときている状態です。
自分自身がいま思い出す光景は、小学校二年の時。
自転車の補助輪を外すのが遅かった私は、毎日一人で乗れる練習をしていました。
ある晩、近くの公園の前の路で、自転車に乗れるようになった夢を見ました。見守ってくれている祖母が笑みを浮かべて「乗れるようになったじゃない」と言ってくれました。
その夢を見た数日後、僕は友達と一緒に居て、いつのまにか乗れるようになっている自分に気付きました。
現実には、直接祖母の目の前で乗れるようになったわけでもないし、祖母から自転車の乗り方を教わったわけでもありません。
なのになぜ、いまその事がまず頭に浮かんでくるのか、不思議です。